今年に入って、
地域内にある一軒の古民家を
少しずつ片づけています。
住むわけでもなく
活用する明確なビジョンもなく、
そこにあるのは『放っておけなかった』という情、
そして、少しでも片づければ
使いたい人が使ってくれるかも、
という期待。
窓を開け
家中ぎっしり詰まった物を整理して
あいたスペースを掃除をすると、
空気がふわりと流れていく。
草を刈り
庭に散らばったものを片づけると
家全体がキラキラと輝いてくる。
たくさんの物事が詰まった家なのはわかる。
一族みんなが去っていった家、
他人がどうこうお節介することではないかもしれない。
けど、代々の人たちが一生懸命働いて、
その財産で建て
そして維持されてきたこの家を
とても惜しいと思うのです。
知らぬ人の仏壇に手を合わせ
黙々と片づけることは、
作業のようで
修行のようで
禊のようで
いろんな気持ちが浮かんでは消え、
ふとふり返ると
少しだけ家が住処らしくなっている。
「片づけてもらっていいですよ」
と言ってくれた
遠方に住む持ち主さんに感謝。